世の中のスピードが早いからなのか、最近はあまり良く物事を考えていない人や出来事が目立つように思う。
先日 ニュースで騒がれていた両親を殺害した15才の少年も、いったい何を考えて温泉地に居たのだろう?っと思った。カーっとなって起こしてしまった事件なら、幼さもあって余計分別に欠けたと考えられようが、計画的に行ったと言うのだから、余りにもアンバランスな精神発達さを感じてならない。
あまり難しい話をするつもりはないが、このニュースを見ていて、ふとこんな出来事をふたつ思い出していた。
まだ開店して日も浅かった頃 二人の年若い女の子が、カフェでお食事を楽しんでいた。もう箸が転がっても楽しいお年頃なのかも知れないが、あれこれと大きな声で話に夢中だった。コーヒーが運ばれて行くと、ZOPFのコーヒーカップは、保温性を持たせたくてわざと全体が厚い作りになっているのだが、「何〜?これ〜?分厚くて変〜〜〜 ギャハハハーーーカッコ悪い〜〜〜」っと叫ばれてしまった。その後も、口にする度にクスクスと笑い続けていた。
思った事を素直に口にしただけだろうが、お客様は他にもいらしたし、やっぱり私も悲しい思いにかられた。見兼ねたスタッフが「言ってこようか?」と言ってくれたが、嫌がらせと言うのではないだろうし、せっかくのお二人の楽しい雰囲気を壊してしまってはいけないと思い、留まらせた。
つい最近は、就職を希望して元気な女性が飛び込んできたが、スタッフの空きもないため、面接だけして帰らせた。するとすぐにメールが来て「明日にでもZOPFの近くに引っ越してきます!」っと言うのだ。採用した覚えはなかったのに。
慌ててすぐに思いとどまらせるメールを送ったが、「私は自分のこう言う一本気なところが好きなんです」と、悪びれる様子もない返事が戻ってきた。個性のアピールでもあったのかもしれないけれど、こんな押し付けがましい個性は、パン屋の適性に欠けると伝えた。
先の女の子達にしても もっと思慮深くならなければ、実のところ自分が損をしたり、上手に生きていけないのではないかと、お節介の老婆心に思う訳だ。
「カップの造りひとつがなんの問題なのよ?」って怒るかも知れないけれど、一事が万事ではないだろうか? 思いやりだって、心配りと言う思慮深さである。
もちろん誰にでも失敗はあるから、人を批判しようと言うのではないけれど、ほんのちょっとでいいから 一瞬でも立ち止まって考える必要性を忘れないで生きて行くと、もっとより良い毎日がやって来るように思うのだ。
小さなそんな出来事こそが、毎日を作って行くのだと思うからね。。。
仕事をしながら、ゆっくりお茶を飲みたい時、つい私はこのZOPFのコーヒーカップを使ってしまう。
ちょっと不格好と思いつつも、安心していられるこのカップがやっぱりいいんだ〜もーん(ちょっと意地張っているかしら?)
ぎゃははは