かなり昔、看護学校の卒業旅行でのことだ。
宴もたけなわの大宴会場で、突然 クラスでも大人しいN子が酒のグラスを投げつけた。
あたりは騒然★ 負傷者も出た。酔った勢いでもあったんだろうけれど、N子はそこで3年間の思いの丈でもぶちまけるかのごとく不満を炸裂させたのだった。
「私だってカラオケを歌いたいのに!」確か発した言葉はそんな内容だった。
何とか場を和ませ終了をし、その後も何事もなかったように毎年クラス会が開かれも、N子も何くわぬ顔で参加をし、皆も何事も無かったようにしているけれど、誰もが多くを語らず、それでいて必ず思い出される『思い出の1つ』になった。
私は鮮明にその思い出の光景と共に心に焼き付けたのは、大人しい物静かな子だからって、強い意志や欲求や願いが無い訳ではないという事だった。むしろ、いつも目先の事で一喜一憂しやすい私より、悶々と黙々と思いを募らせ、強く思う事が多いのかもしれないとすら感じる脅威に似た不安だ。
以来、黙って居る者の声も聞かないといけないと思うようになったけれど...
どうなのだろう?
カラオケが歌いたいのなら「はい!」と手をあげればそれですんだだけだ。
別にそこにイジメは無かったのだし。「勇気が無くって」とか「言出せる雰囲気じゃなかった」と言って責められてもね...。もちろん多くの者は反省もしたよ。私もね。でも3年間を振り返れば、目立つチャンスはいくらだってあった様にも思う。なのに本当はいつも目立っていたクラスメイトを羨ましく思い、「目立ちたい!」と思い続けていたというのなら、それは自分で克服するしか、やはり道は無かったのではないだろうか?
面倒臭い人間にはなるまい
自立したしっかりした社会人になろう
誰が悪い、自分は正しいと思い続けた所で、何も変わらなければ意味が無い。
そう思いを強くさせてくれた思い出にもなった。
多くの社会人が誕生する4月。自分の人生は自分で切り開くしかないよ!!
がんばれ!